レーザー製品 製造販売専門店 株式会社ルミネ製作所

ごあいさつ

Greetings

日本で一番小さなレーザーメーカー

…それが株式会社ルミネ製作所です。
現在代表である私、荻田 聡が営業・設計・製造・カスタマーサポートまですべてを「ワンマン」で行っております。
高知県の、どちらかというと「田舎」といわれるのどかな土地で、どちらかというと「先端技術」の部類となるレーザー光線を出力する機械製造に独りで向き合う…という風変わりなこの状況に至るまでを、少しお話したいと思います。

業界では大手と言われる企業の一社員として

高知高校を卒業後、福岡工業大学に進学し、レーザー機器を設計・製造するメーカーに就職しました。そのメーカーの工場が高知にできるということをきっかけに、私もその新設する工場へ異動することになりました。工場の建設地が、今ルミネ製作所のある香美市香北町でした。

その後、高知工場は本体から完全独立化しました。
独立後、自社で開発した小型グリーンレーザーポインターが注目されるなど、仕事の方は順調でした。私も社歴を重ね、会社でのポジションは役員となり、「このまま順調にいけるんだろうな」と、安定した未来をふわっと想像していました。

会社が倒産

しかし、人生そんなに甘いものではありませんでした。会社が倒産、というサラリーマンにとって「生命線を絶たれてしまう」出来事が起こりました。しかも、私は役員であるため、会社が抱えてしまった負債を背負わなくてはいけない立場となりました。

さあ、これからどうしよう…まさかの出来事です。
この道一本で生きてきたので、別の道に行くという選択は難しいと感じました。また、倒産はしても当時の取引先がたくさんあるわけです。自分たちが路頭に迷ってしまったことに巻き込むわけにはいかないという思いが先に立ちました。
そこで私が選択した道が…

事業を引き継ぎ会社を設立

「ルミネ製作所」の誕生です。
2013年7月19日に事業停止してから、7月25日に新会社設立というスピードでした。
当然ながら、妻にも娘たちにも心配をかけてしまいました。
幸いだったのは私が技術者であり、営業の経験もあるマルチプレイヤーであったことと、香美市香北町にマイホームがあって寝食にたちまち困るという状況ではなかったことです。

おかげさまで負債も完済

正直、うまくいくかどうかはわかりませんでした。
とにかく「お客さまに迷惑をかけてはいけない」「家族に迷惑をかけてはいけない」という思いが先に立ちましたので、前に進むことだけを考え続けた日々でした。

その後、おかげさまで事業はなんとか軌道に乗りました。時代も味方してくれたように思います。取引先や外注の製造工場とのやりとりは、電話だけでなくメールなどインターネットを経由して行うことができますし、当社のようなベンチャー的な企業が増え、業績を伸ばしていたのでその波に乗ったようなところもあります。
正直、うまくいくかどうかはわかりませんでした。

小回りの利くメーカーとして

以前はどんな業界でも、製造業は大きな工場を構える、もしくは海外に発注するなどして大量生産できることが重要視されていましたが、2000年以降は「小ロットでユーザーのニーズに細やかに応えられる生産スタイル」が求められるケースが増えてきました。当社のような会社が得意とするところです。

家族の支え・地域の人があってこそ

会社を設立してからずっと変わらず支えてくれたのは家族です。特にかわいい孫たちに会える時間は幸せです。川や山、アンパンマンミュージアムの「効果」もあって、孫たちは私たちのところに喜んで遊びにきてくれます。

また、私は生まれが高知県西部・高岡郡越知町、妻は幡多郡三原村の出身ということで、地域の人たちとの繋がりやご縁を子どもの頃から大切に思っているので、地域の活動も楽しんでお手伝いさせていただいています。
当社の近くには、大上美良布神社という大きな神社があります。夏祭りや秋祭りを盛大に行うので、香北町内の地区から世話役メンバーが集まってきます。私もその世話役メンバーなのですが、個性的な方が多いので楽しみながらお手伝いをしています。

蛍の里から、最新鋭のレーザー光を届けます

ルミネ製作所のすぐ傍には小川が流れています。夏のはじめには蛍の姿を楽しむことができます。
山あり谷ありを経て、古くから人々を魅了してきた蛍の光が飛び交う里で、未来へつなぐさまざまな可能性を秘めたレーザー光線の仕事に携わるというなんともロマンあふれるシチュエーションに巡り合えたことに感謝をしながら、これからも光をお届けしたいと思います。

株式会社ルミネ製作所
代表 荻田 聡

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☎0887-59-4369

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